3月11日、私の乳がん記録
2013/03/11 Mon. 20:30 - category:乳がんのこと
今日も単純に私の記録なので、長ーいし、犬目当ての方はスルーしてください。 自分記録のために今日のブログを残します。
今日は3月11日。実際にその立場に立たなければ、決して人の気持ちなど理解出来ないのだと乳がんを患って実感しつつも、力いっぱい人に寄り添う努力はしたいなーと思う今日この頃です。

実は今日3/11は我が家の結婚記念日でもあり、私の父親と兄の誕生日でもあります。だから東北の3.11に思いを馳せつつ我が家でもささやかな夕飯を作りました。 手術前も入院中も、力いっぱい支えて、大丈夫大丈夫と笑い飛ばしてくれた旦那様に感謝です。

春の足音もすぐそこまで来ている感じですね。
私の中で、3/11という日付は一つの区切りでもあるので、今日まで私に起こった乳がんという出来事を、記録として残しておこうかと思います。なるべく客観的にね(笑)
2012.03.16 毎年受けている人間ドッグを受診(マンモグラフィ・エコー・触診とも)
2012.04中旬 人間ドッグの結果、乳腺症あり。1年に一度の経過観察との診断(ここ2~3年、乳房に5㎜程度の小さなしこりがあったが毎年再検査の結果問題なしと判断を受けていた。この時は一所懸命触らないとしこりを自分でも見失う程度だった)
2012.10.31 気になっていたので旦那の会社の無料乳がんバス検診を受けてみる
2012.11中旬 上記結果で要精査書類が届く。自分で触診してみると、今まではわからなかったはずのしこりが掌を当ててすぐわかるような大きさになっていること自分でにビビる 。痛くも痒くもない。
2012.11.28 乳腺外科のある大学病院を受診(可能性は低いとの回答。だが、一応以前の人間ドックで撮影したデータと比較したいと言われ、念の為マンモグラフィも超音波も撮影して帰る)
2012.12.08 大学病院にて3月の人間ドックデータと先日のマンモグラフィ画像を比較。ちょっと怪しい感じと医師発言
2012.12.13 しこり部分病理検査のために局所麻酔で針生検を受ける(5発も打たれた・・・)採取した細胞を見て、医師が「適切な治療をしていきましょう」的な発言。自分のしこりが限りなく黒に近いグレーであることを知る。
確かにショックだったけど、この日は東京ドーム嵐さんのポップコーンツアーに参戦だったので、あまり暗い気持ちにならずに楽しい仲間と明るく過ごせたことに感謝。
2012.12.17 超音波検査
2012.12.26 乳がん告知。病名は「浸潤性乳管がん」。麻木久仁子さんのは「非浸潤性乳がん」ね。浸潤性は転移する可能性のあるがんとの説明。前回針生検の時の医師の発言から「たぶん乳がんなんだろーなー」と思っていたので、「やっぱり」という感想。
思ったよりショックもなく、ひたすら無になってこの日発売の「嵐フェス」DVDを見まくる
2012.12.28 術前検査で心電図やら肺活量やらお腹の超音波、血液検査など受ける
ここから年末年始を含め、周りが思っているほどショックはなく、正直実感が全く無かった。なぜだろう?乳がんって最初は本当に無症状だから、痛くも痒くもないし自覚症状としてシコリ以外は何もないからかもしれない。手術方針も何となく医師のいうままでいいかなーなんて思っていた。というか考えようとしてなかったんだと思う。 ただただ毎日を笑って過ごしたかった。ひたすら嵐を見たり聞いたり、人に会ったりしてやっと立っていられるように向き合わず怖くて逃げていたんだね。
ひたすら嵐の「エナジーソング」「ファイトソング」「ワイハ」ばっかり聴いてた。
2013.01.17 手術に向けたMRI検査。病巣がどこまでか予測を立てるため。この検査が思ったより苦しかった
2013.01.19 今までの検査結果と手術方針の相談。両親と旦那も同席。MRIで予想より腫瘍のヒゲらしきモノが伸びていることが分かり、いくつか手術方法の選択肢を医師から与えられる。 納得がいくまで他の医師と話すことも勧められた
部分切除なのか、全摘なのか
放射線治療について
抗がん剤治療について
ホルモン治療について
リンパ浮腫について
少なくとも、これから10年くらいは通院が必要なことも
この時点でもまだ実感が全くなかった。まるで他の人の話を聞いてる感じ?だから乳がん告知を受けても一度も泣けておらず、自分の病気をちゃんと受け止めて向き合おうともしていなかったんだと思う。私よりもショックを受けている親や周りの人を見る方が嫌で嫌でたまらなかった。 自分だけでも無理してでも笑っていたかった毎日。
2013.01.20 とある人の助言のおかげでここに来て初めて自分の病気のことを真剣に考え始める。乳がんの本を読み漁ったり自分の検査の数値を見たり、乳がんの症例を調べたりし始める。治療法や手術の選択肢も、きちんと自分で勉強して、とことん医師と話し合い決めるべきであるこを知る。友達を通じて同病の方の話も聞かせてもらう
2013.01.21 乳がんとは無関係だけど、先日ドタキャンされた小指の抜ピン手術。またこの先リハビリしないとだなー
2013.01.23 初めて自分が乳がんだと受け入れた日。乳がんが現実のモノとして私に突然認識された日。グチャグチャになって大泣きした。親友が「気持ちを理解してあげることは出来ないけれど、精一杯寄り添ってあげることは出来るから」と言ってくれたことに救われた。手術前に泣けて良かった
2013.01.24 他の病院でセカンドオピニオン的な。治療法について自分の中で選択して決断しようと思って何となく見えてきていたモノに対して背中を押された気分で、スッキリできた 。自分の病気は自分で勉強して選択しないと本当に後悔すると思った。悩み抜いて自分で決めたことならきっと受け入れられるはず
2013.01.26 担当医に頼み、時間を割いてもらう。自分の意思を告げた
2013.01.28 担当医と術前の擦り合わせ。普通に胸を剥き出しで手を腰に当てて写真撮られたり。こんなんで毎回傷付いていたら、この先持たないと覚悟決める
2013.01.29 なぜかここに来て気持ちがジタバタ。もしかしたら私、ガンじゃないんじゃないか?なんて馬鹿げたことを思う。友達に会って今までの検査と経緯を話しながら、なんだ、私やっぱりどう考えてもガンじゃんと自分で自分に笑う
2013.01.31 少しでも明るい気分で入院を迎えたいので髪を切り明るく染め直した
2013.02.01 先日の小指手術後の抜糸。これでやっと入院体制が整った
2013.02.02 入院手続きのみ。4日の乳がん手術前日の夜までに戻れば良いとの指示を医師から受け、外出。学生時代からの気が置けない仲間と飲み会。手術直前の私には絶対に必要な夜だった、じゃないと逃げだしそうだったんだ。みんなで笑った。笑って騒いで本当に楽しい楽しい夜だった
2013.02.03 病院で最初の一人の夜。明日は手術。全身麻酔の手術は2000年に受けた子宮内膜症と卵巣嚢腫の手術以来。逃げ出したくなる。自分で決めて医師に依頼した手術方針なのに、最後の最後まで、これが正しかったのか悩み逃げ出したい気持ちになる
2013.02.04 手術(3時間半ちょっと)。術後すぐに目が覚めるよう麻酔で調整されていてICUですぐに家族と会える。全く動けない。右胸の手術して、左手は抜糸し立ての小指ではコップを持てず、自分で水すら飲めない
2013.02.05 ICUから歩いて病室に戻る予定が、もともとの超低血圧のせいで貧血でぶっ倒れる。看護士に車いすで病室まで運ばれた
2013.02.08 マイナスオーラたっぷりの病院で気持ちが塞ぐ。なんで私ガンになったんだろ?と思ったら泣けて泣けて止まらなくなった。でも、理由なんてない。友達に電話して助けてもらう。ありがとう
2013.02.13 退院。
2012年は乳がん告知以前にもっともっと辛いことが多過ぎて、何とか乗り越えてきた。挙げ句乳がんって(笑)でもその辛かった経験がきっと私を育ててると思うし、きっと私を強くしてくれたはずだから。
乳がん告知を受けてから、初めて死ということを身近に感じたし、日常の中の小さな幸せにも目を向けられるようになった。入院中、友達に借りたperfumeのDVDの中の「Dream Fighter」の歌詞で泣いた、けれども励まされた。受け入れるしかない。歩くしかない。
今はまだPMPSが痛くてたまらないけど・・・、右胸の影響で右手も手術後の左手小指もうんとうんとリハビリしなくちゃいけないけど・・・。
一度きりの人生!出来る限り笑って好きなことしたいから。
家に一人でいると痛みに集中しちゃって辛くなるから

まずは3/8の日本vs台湾戦、一人観戦してきてみた!手に汗握った!飲んだ(笑)

神とあがめし阿部サダヲの舞台も見に行った!!!ま、これは乳がんがわかる前からチケットを取ってあったんだけど(笑)本当に阿部サダヲはサイコーだ。
実は明後日は手術で切除したガン細胞の病理検査結果が出る日。
この結果でこの先の何年間かの治療方針が決まる。
良い結果が出ると100%信じて。

本当に周りの人に恵まれているし、この仕事が出来てる私はツイテる!(笑) たくさんの人にありがとう。



もうこれ以上、空と晴に迷惑かけられないしね!頑張ります。

東日本大震災で被害を受けられた方々に少しでも早く日常が戻りますように。

※乳がんにはいくつも種類があり、性質も違います。それだけ治療法も異なりますし、個人個人の選択肢による部分も多いです。何より、定期検診を受けて、不安があったらお医者さんと相談してくださいね。
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